2008年06月21日

久米島巡り

久米島めぐり  本山万吉 作

一、久米島巡りのいでたちは
   洋服脚伴にわらじかけ
  乗込船は名草丸(運輸丸)
   向う所は儀間港

二、従弟学校に小学校
   実業普通の教育に
  具志川仲里両村の
   おい先見えてたのもしや

三、儀間を出ずれば山城
   見渡すはては銭田原
  山にかくれし島尻は
   世間はなれし別天地

四、比嘉の馬場にやすらえば
   字謝名堂もほど近く
  みどりしたたる松かげに
   見ゆるは仲里小学校

五、宇根に真泊奥武の島*1
   すなどの業にいとまなく
  月に数回の便船は
   那覇に輸送の便利あり

六、福木に名ある真謝の字
   仲里役場はここと聞く
  阿嘉は淋しき字なれど
   ひじ水ありて名を得たり

七、故人の遺趾比屋定の
   お太陽石こそこけはむせ
  立てしいさおは千代かけて
   よろず代かけて残るらん

八、按司の住みし宇江城
   栄枯盛衰ゆめに似て
  金殿玉楼あともなく
   枯木にねむるは山の鳥

九、仲村渠に具志川を
   過ぐれば早も字仲地
  牛のたてがみ馬の角
   訪わばや字の人々に

十、具志川高*3は山里の
   眺望絶佳の地を占めて
  殊に名高き五枝の松
   ヤッチのガマも遠からず

十一、上江洲に近く西銘あり
    字の旧家に伝えたる
   斉美の額はかしこくも
    尚敬王の筆と聞く

十二、鳥島移住のてんまつを
    語るみかげの記念石
   表にきざむ唐文の
    筆のあるじは斉藤氏

十三、大田を過ぐれば兼城
    具志川役場に立よれば
   日は早や西にかたむきて
    ねぐらを急ぐ烏山*4

十四、枝をたよりに立ち上がり
    行けば程なく大港
   清き流れのみなかけ(水上)は
    つつじに名たる白瀬川

十五、チナハの城をあとにして
    波の花咲き右に見て
   一夜の宿を嘉手苅の
    賤(しず)がふせ屋に着きにけり




 しばらく放っておいたら引用先のサイトが不明。歌詞を見て覚えた訳ではないので確認のための印刷物があるか不明。
 為に間違いの確認もできず。ただし、下記は誤りか。
 *1 「菊武の島」とあるのを「奥武の島」に改めた。地名にもとづいて訂正。
 *2 「金殿玉棲」とあるのを「金殿玉楼」に改めた。樓の誤記。
 *3 「具志川高」とは何だろうか。『地名と民俗』では確認できず不明。「具志川岳」か「具志川嵩」だろうか。場所から考えると冨祖古嶽(「だるま山」などと言う風情のない名前に変わっている)あるいは大嶽を指すか。
 *4 「鳥山」を「烏山」に改めた。これも地名にもとづく訂正。
 他にもあるかも知れないが取り敢えずここまで。


追記
 上記の誤りの多くは印刷物を見て写し間違えたと考えてよかろう。てこたー印刷物があるってことか。
 あとコレ↓
 「久米島島民のうち40歳以上の方ならほとんどの方が歌える歌だそうです。」((//blog.livedoor.jp/bakumatusaga/archives/50047422.html))とのこと。
 んなこたーないw


タグ :久米島

Posted by kan-tan at 16:17 │なし